日本クマネットワーク
ツキノワグマのために各地で集めたドングリを山奥に蒔く活動に関する見解
2012年12月 発行
2012年秋にも、本州の多くの地域でツキノワグマが出没しました。そして、その対策として多数のツキノワグマが捕獲されました。日本クマネットワークでは、これまでにも各地域の出没情報の収集を行い、分析した上で、webサイトやシンポジウムの開催などを通じて発信してきました。
ツキノワグマの大量出没の原因として,生息環境の悪化と餌不足が指摘され、「餌が不足したために出没してしまい,生息数が減少しているにもかかわらず殺されてしまうかわいそうなツキノワグマ」、という報道が繰り返し行われています。しかし実態はそう単純ではなく,ツキノワグマの生息地付近の人間活動の変化、ツキノワグマの生息数や分布、行動の変化などが複雑に絡み合っています。大量出没に関しては、今後各地域の行政や研究機関が協力して実態解明に取り組み、地域の実情に即した対策が行われることが期待されます。
こうした状況の中で,これまで日本クマネットワークに対して、ツキノワグマの出没対策として、「公園などでドングリ類や銀杏を集め、ツキノワグマの生息地に蒔いてはどうか?」というようなお問い合わせを何度か受けてきました(以下、この活動を「ドングリ蒔き」とします)。大量出没の主な原因としてツキノワグマの秋の主要な食物であるドングリ類の不足が指摘されているため、このようなご提案をいただいたものと理解しています。また実際にこうした活動を実施している団体があることも、その活動が報道されていることも認識しています。
しかしながら、日本クマネットワークでは、現段階でツキノワグマの出没への対策として「ドングリ蒔き」活動は実施すべきではないと考えています。その理由に関して、当ネットワーク役員会としての見解を述べさせていただきます。
はじめに、一般論として、野生動物に対する給餌行為の是非について、見解をまとめました。
野生動物は、自然の中で、自分の力で必要な食物を獲得し、他の動物からの捕食などの危険を避けながら、生活し、子孫を残します。そのために長い進化の歴史の中で、それぞれが生活する環境に適した姿や行動を備えるようになるとともに、他の生物と密接な関係を築き、その関係性を基盤に生存するようになりました。その結果、現在の生物多様性が作り上げられ、維持されています。
こうした野生動物に対する給餌は、原則として慎むべきです。その理由は、給餌により野生動物本来の行動パターンが変わり、人間や人里の環境に依存するようになる場合があるからです。その結果、新たに被害が発生し、駆除されることにもつながります。また、人間や家畜と野生動物が相互に伝染病を感染させる恐れも生じます。さらに、本来は食物が不足することで生息数が減るはずの種の生息数が減らないことで、生態系のバランスが崩れ、他の生物種の生存や繁殖に思わぬ影響を与える場合があります。
ただし、人間による野生動物に対する給餌は、以下の場合に認められることがあります。人間に起因する生息環境の悪化や生息数の減少により、種または地域個体群が絶滅の危機にあり,非常手段として行われる場合です。ただし、いずれの場合においても国民や地域住民との合意形成の上で、継続的に責任を持てる機関によって、効果や影響が科学的に検証される必要があります。日本では「種の保存法」に基づく国策として、タンチョウ、シマフクロウへの越冬地で給餌が行われています。また、野生動物への被害対策として試験的に給餌が検討されることもありますが、その効果は短期的被害抑止効果だけでなく,個体群や生態系に与える影響も含めて慎重に判断されるべきです。
さて、ツキノワグマの大量出没を防止するため、あるいは飢えたクマの栄養補給のために「ドングリを蒔く」という行為に関してですが、以下のような問題点が生じる可能性があります。また問題が発生した場合、その影響の程度も未知ですので、給餌は控えるべきという慎重論をとります。今後は、仮に緊急的に給餌を実施する必要があった場合には,そのことが出没・被害対策へ与える効果や、ツキノワグマの行動や生態系への影響について、調査研究を進めるべきだとも考えます。
1) 交雑、病気の持ち込みなどによる地域固有の生態系への悪影響
都会の街路樹・公園など別の場所にあったドングリを山に持ち込んだ結果、そのドングリが発芽し、その地域に定着した場合、それは本来その地域にはなかった遺伝子がその地域に導入されることになります。持ち込まれた植物が、その地域にもともとあった植物と同種で、交雑した場合、長い歴史の中で培われ、地域の環境に適応してきた地域固有の遺伝子が損なわれる可能性があります。また、ドングリ自体が発芽しなかったとしても、ドングリについていた昆虫や病原菌など目に見えないような生物が、その地域にもともといた生物にとっての新たな害虫・病害、または競争相手となることで、その地域の生態系に影響を与える可能性もあります。
2) ブナ科の木の世代交代への悪影響
秋にツキノワグマの食物不足が発生する主な原因としてドングリ類の凶作があります。ドングリを実らせるナラやカシなどブナ科の樹木が結実量を年によって変動させるのは、これらの植物が本来持っている特性です。ブナ科の樹木は、毎年同じように果実をつけないことで、ドングリ類を食物とするネズミなどが増えすぎないようにし、樹木の繁殖がうまくいくように調整していると考えられています。そのため、本来ドングリ不足で減少するはずであったドングリ類の捕食者が、給餌により不自然に増え、翌年の樹木の繁殖がうまくいかない可能性があります。
3) ドングリを食物とする他の野生動物への悪影響
秋は厳しい冬を乗り切るために十分な栄養を蓄えたり、または食物を蓄えたりするための重要な季節です。ドングリは栄養価が高く、ツキノワグマ以外の多くの野生動物にとっても、秋の貴重な食料です。ツキノワグマのために持ち込まれたドングリは、他の野生動物にとっても利用される可能性があります。そのため、本来は食物不足のために死んでしまったり、または翌年子供を産めなかったりしたはずの野生動物が死ななかったり、子供を産めたりと、自然のリズムによって調節されている野生動物の個体数に影響を与える可能性があります。その結果、数が増えた種の食物となる、または同じ食物を利用する他の種にも影響を与える可能性があります。
4) 人間由来の食物の味を学習させる
銀杏の場合は、もともと栽培植物であり、人間の生活空間の周辺に街路樹や学校樹などとして植栽されているものです。リンゴやカキなどを山中に撒くことと同様に、銀杏を撒くことは、ツキノワグマに人間由来の食物の味を覚えさせ、人里での被害を増加させる可能性があります。したがって、銀杏の利用も良い方策ではないと考えています。
「ドングリ蒔き」の代替案として、「環境省-クマ類出没対応マニュアル-クマが山から下りてくる-」で紹介されている方法がよりよいと考えられます。その中では、山の中や中山間地域・人里でクマと遭遇しないための手法が紹介されています。短期的には、集落の周囲からクマの誘引物となるものを除去すること、長期的には、緩衝帯を設けてクマと人間の生活域を分けること、そのために生息状況等について調査を実施することが提案されています。さらに出会ってしまったときの対応や、今後出没を防止するためには、どのように行動すればよいかが明確に示されています。もちろんツキノワグマにとって好適な生息地を保全することも重要です。
一般の方が、都会にいながらツキノワグマの大量出没と被害への対策としてすぐにできることはなかなかないのですが、まず関心を持ち続けていただくことが大事だと思います。また、次のような活動に参加されることもよいでしょう。山梨県、長野県、広島市などでは、市民ボランティアによってツキノワグマを人里に誘い出しているカキもぎをしています。また、岩手県盛岡市猪去地区では、同じく市民ボランティアにより、ツキノワグマが出没する農地の草刈・藪払いを行いクマが人里周辺に潜みにくくしたり、人里への侵入を防止しています。また、電機柵の設置も進めています。関心がおありでしたら、活動している団体をご紹介いたします。また、去る2011年2月12日にはシンポジウム「日本のクマを考える─繰り返されるクマの出没・私たちは何を学んできたのか? 2010年の出没と対策の現状」を開催し、具体的な原因とその対応策を紹介いたしました。このシンポジウムの報告書は、日本クマネットワークのホームページ上で公開していますので、そちらもご覧いただければ幸いです。